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火おこしちゅう。


by rentacoal

顔のない隣人

顔のない隣人_b0060499_0272693.jpg・・・・・・・・・・閉ざされた空間、「街」
「火の用心」
帰り道、久しぶりにこの声を聞いた。
カチャッ、カチャッと鳴る拍子木の音には
懐かしさを覚える。
ただ違うのは、それは甲高い声の
「ひのよーじん」ではなく、幾(いく)人かの
年を召した「火の用心」だった。

物騒だから。
その一言を理由に、街から子どもらの笑い声は消えてゆく。
物騒。 モノがさわがしい、と書く。
なるほど。 事件のニュースなど“情報”と称して
入ってくるそれは、確かにさわがしい。
目を覆いたくなる悲劇が連日報じられ、
せめてわが子はと、人は門戸をかたく閉ざす。
そして街からは、
―朝晩の通勤時間を除いて、人影がまばらになっていく。

街は安全か。
その問いにYESと答えられる人は、誰もいない。
しかし、どうだろう。
門を閉ざせば安全になるのか。

人が消え生活空間でなくなった街は、“ただの通り道”にすぎない。
そこに棲む人は隣人であれ、不信感をもつ対象でしかない。
わが子だけをかくまい、地域の交流を
シャットアウトすることが、犯罪の種をまいてるんじゃなかろうか。
誰もが忙しいことを、否定はしない。
ただ、目先ばかりで本当の安全は得られないわけで、
そういったジレンマに苦しむ街の人々は、
一種の運命共同体にも思える。

夜の公園。
地面に、子どもがかいた絵が残っていた。
隣人の顔がない、現代。
街が闇に呑まれつつある現代に、子どもの遊んだ跡が残っていた。
静かな公園に、子どもの姿はとうにあるはずもない。
暗闇の中、子どものいた形跡だけが、
ただただ残っていた。
by rentacoal | 2005-12-26 00:27